Born on a Baseball Planet
【東京六大学】慶應義塾大学野球部で選手を引退して学生コーチになった話 1st Retirement from Baseball

Twitterにたまたま流れて来たタグ「#10年前の自分に言っても信じてもらえないことを言う見た人もやる」を見てふと考えてみると、今年は野球選手としての現役引退を決意してからちょうど10年目の年だということに気がつきました。

 

今日は、この1度目の現役引退に至った経緯についてお話してみようと思います。

 

 

 

当時の慶應大学野球部では、男子マネージャー(4年生時に主務となる)や学生コーチ(ヘッドコーチ、新人監督、データコーチなど複数名)など選手以外に必要不可欠なポストが部内にいくつかあり、希望者のいない場合は投票や指名により選手の中からその人材が選ばれることとなっていました。ぼくたちの代では、1年生のときに複数回の投票とその後の立候補により、選手の中から1名がマネージャーに転向していました。

 

そして3年生に進級することを目前に控えた3月、学年として2人目のスタッフ人材となるデータ戦略を専門に扱うコーチが必要となり、その人材を選出することとなったのでした。

 

 

 

電話が鳴りました。それは3月のある午前中のことで、午後からの練習日程だったぼくはまだ寮の部屋にいました。出ると同学年のマネージャー。監督が話があるそうで、監督室に来て欲しいと言われました。

 

来たか、と思いました。

 

ここまで対外試合はおろか部内の紅白戦でもほとんど出場機会はなく、同学年内で行った投票でも上位に名前のあったぼくは、自分の名前が呼ばれるだろうことをなんとなく予測していました。

 

監督室で監督は多くを語りませんでしたが、今とは別の形できっとチームに貢献してくれるだろうと期待を込めて話してくれたように思います。

 

 

 

すでに覚悟は決まっていました。まずは今までの野球人生を支えてくれた両親に電話しました。それから、1年生のときに同部屋の先輩としていろいろなことを話して教えてくれたアンダースローの村山さんに会いに行きました。村山さんも、1年生のときに同部屋だった島田さんという先輩が学生コーチになった経験があり、選手をやめるということについては人より考えた経験のある人でした。

 

4月から始まる最終学年としてのシーズンを直前に控えていた村山さんはぼくに、学生コーチになることを決断した島田さんに2年生として既にベンチ入りしていた当時言ったのと同じセリフを言ってくれました。

 

「グランドでのことは任せろ」

 

 

 

それから先のことは、以前のブログ 大学院卒ブランク5年で野球選手として独立リーグ・海外でプレーするようになったきっかけ その1 にも書いた通りです。

 

この決断が正しいものだったのかどうか、それは今のぼくにもわかりません。しかしこの決断があったからこそ、今でもぼくは野球を続けているのだと思います。

 

10年前の自分に言っても信じてもらえないこと。

 

当時のぼくはまさかそれから5年のブランクを経て選手に復帰、アメリカを始め8ヶ国のリーグでプレーすることになるとは想像もできませんでした。これから先、次の10年も今の自分には想像もできないような未来にできたらいいなと思います。

 

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