Born on a Baseball Planet
友人・菊沢竜佑への手紙。就職、独立リーグ、軟式野球の経歴を経てヤクルトスワローズで彼が成し遂げたこと Old Rookie

2018年10月2日の球団発表で、ヤクルトスワローズは成瀬善久、鵜久森淳志らとともに菊沢竜佑投手に来シーズンの契約を行わない方針を通告したと発表しました。前日の由規投手への戦力外通告と合わせて、ファンの間に大きなショックが広がっています。

 

菊沢投手は引退の意向を示しており、とても残念に思いますが、同級生として大学時代から彼のピッチングを観ており、彼とともにシーズンオフを過ごしたこともある経験から、彼がその壮絶でユニークなキャリアの中で成し遂げたことについて書き記しておきたいと思います。

 

 

 

菊沢は秋田高校から立教大学に進学、東京六大学のリーグ戦で下級生の頃にデビューし多くの登板機会を得ます。立教とは敵同士となる慶應大学野球部に在していたぼくは、下級生の頃はビデオを撮影する当番として、さらに上級生で学生コーチとなってからも、敵情視察として神宮球場で、ミーティングルームのビデオ映像でよく彼のピッチングを観ていました。

 

しかし、上級生になる頃には右肩痛を発症、次第に登板機会は減少し、大学を卒業すると現役続行はせずヤマザキ製パンに一般就職する道を選びます。

 

ただし、後で聞いたところによると元々ここで現役引退するつもりはなく、手術した右肩が癒えれば現役復帰するつもりでいたようです。しかし、いくらその気持ちがあったとしても右肩が完治して以前のように投球できる保証はどこにもありません。彼にとっては一番辛い時期だったのではないかと思います。

 

 

 

果たして右肩は回復します。クラブチームの横浜金港クラブで投手として現役復帰すると、湘南台にある野球教室、ルーツ・ベースボール・アカデミーでトレーニングに励みながらオフにトライアウトリーグのカリフォルニア・ウィンターリーグに参加、アメリカ独立リーグのパシフィック・アソシエーションリーグに所属するソノマ・ストンパーズとの契約を勝ち取ります。

 

実はこのオフシーズン、慶應義塾大学大学院を卒業して独立リーグでプレーする道を模索していたぼくは、このルーツ・ベースボール・アカデミーで菊沢と共に汗を流したのでした。25歳という年齢で、アカデミー併設のバッティングセンターで働きながらプロ野球選手を目指す彼の姿は、人から見れば滑稽なものだったかも知れません。

 

 

 

夏のシーズンになると、菊沢はアメリカへ、ぼくはベースボール・ファースト・リーグのゼロロクブルズでプレーするために大阪へと旅立ちました。彼はアメリカでも好投し、シーズンが終わって帰国するとBCリーグのチームからも声が掛かってシーズン終了まで帯同したようです。

 

その年、あるNPB球団の入団テストを受けついに最終合格者となったそうですが、残念ながらドラフトで名前が呼ばれることはありませんでした。翌シーズンは軟式野球の相双リテックでプレーすると聞いて、プロ野球への夢は諦めたのだと思っていました。

 

 

 

ところが、軟式ボールで148km/hを計測、軟式の全国大会準決勝でノーヒットノーランを達成するなどして準優勝に貢献すると、その年のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズからドラフト6位指名。背番号35を用意され、ついに、ついに27歳にしてNPBでプロ野球選手となったのです。

 

すごいことでした。ずっと真面目に野球やってたんだな、と当時のTwitterに書いた記憶があります。地球上の誰も(友人のぼくでさえ)信じていなくても、自分自身だけはずっとプロ野球選手なると信じてプレーし続けて、そして実現したのです。

 

いま日本に12個しかないNPBプロ野球球団の、二桁の背番号である「35」は菊沢竜佑のもので他の誰のものでもないのです。当たり前ながら、そのことにやけに感動したのを覚えています。

 

 

 

デビューは1年目の2017年9月12日、中日ドラゴンズ戦。立教大学時代から慣れ親しんだ神宮球場のマウンドでした。東京六大学リーグで下級生デビューという華々しいキャリアから、5年間以上の紆余曲折を経て同じマウンドにプロとして戻ってきた感動は、きっと本人にしか本当の意味ではわからないものだったことでしょう。

 

夜のスポーツニュースで友達が「熱盛!」されたのもぼくにとっては始めてのことで、その映像もとても嬉しく見ていました。

 

結局この年は1軍で2試合に登板して被安打5、自責点2、奪三振2で、防御率6.00という成績を残しました。しかし2年目の2018年は1軍登板の機会がなく、先日の戦力外通告となった訳です。

 

 

 

彼の成し遂げたこととはなんだったのでしょうか?まず、右肩手術からの復活、一般就職してブランクを経ての復帰、アメリカ独立リーグからのNPB入り、軟式からのドラフト指名、そして賞味期限と言われる25歳を過ぎた28歳のシーズンでのプロ入り……。

 

逆境を多く経験することを手放しに礼賛している訳ではありませんが、彼が辿ったユニークな道のりは、その道のりの途中にいる多くの後輩たちを励ます力となることだろうと、強く思います。

 

事実、ぼくもその菊沢に励まされた多くの選手たちのうちの1人です。

 

 

 

オールドルーキーと呼ばれ、2017年と2018年のシーズンを東京ヤクルトスワローズで過ごした菊沢竜佑投手の好きな言葉があります。

 

“Never too late”

 

彼の出身地でもある秋田県の能代工業高校出身の元日本人初のNBAプレイヤー、田臥勇太選手の著書のタイトルでもあるこの言葉は、直訳すれば「何も遅すぎるということはない」というような意味でしょうか。

 

「オールドルーキー」菊沢が言うなら、その通りなんだという気がしてきませんか。

 

 

 

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